俺の趣味は自転車なんだよね。社会人になってからさ。
乗るのも、メンテナンスするのも好きでさ。
すげー自転車が大事なんだよね。
そんな大事にしている自転車がさ、どんどん傷ついて、どんどん壊れていくんだよ。
乗れば乗る程
メンテナンスをすればする程さ。
けど、傷一つ無く、何も壊れていなくて、全てが完璧な状態で自転車を維持したいんだよ。
けどさ、それって無理な話だよね。
乗ればタイヤも摩耗するし、小石とかで傷がつくし、フレームも徐々にダメージを蓄積していくよね。
そして、メンテナンスをしてもさ、手元が滑ったりして、傷は増えていくよね。
場合によっては、取り返しがつかない状態になる事だってメンテナンスしていく中であるよね。
そして自然の摂理として、必ず経年劣化はしていくよね。
だからさ、傷一つ無い完璧な状態なんて無理なんだよ。空に向かって唾を吐くのと同じだよ。
何故、完璧を求めるんだろう?
何を俺は恐れているんだろう?完璧じゃないと何が駄目なのか?
- 乗れなくなる事? 走れなくなること?
← そんなことは無いよね。傷がついても、車輪とハンドル、ペダル、サドルがしっかりしていれば乗れるしね。
完璧は不要だよね。 - 取り返しのつかない失敗をメンテナンスでした場合?
← ショップに持っていけばよいし、最悪買い直せばよいしね。
やっぱり完璧は不要だよね。 - 大切にしている物は、ずっとそのままでいて欲しいという俺のエゴ
← これだね。俺が完璧主義を求める理由は。 - 美しい物を求める俺のエゴ
← 人間本来の性質として美を求めるからね。
これも、完璧を求める理由かもしれない。
最後の二つが今の所、理由かもしれない。
「大切にしているものは、ずっとそのままでいて欲しい」
気持ちは良くわかるけどさ、宝石とか絵画とかなら良いけど、自転車は無理だよ。
だって、乗りものだし、メンテナンスするもんだからさ。
これは、諦めようよ。実現できない物に執着する事って辛いだけだよ。
そんで「美しい物を求める」事については、美しい基準を換えれば良いんじゃないかな。
最初の傷一つ、歪み一つ無い状態を美しいと定義するのではなくてさ、いろんな所を走って、そして一所懸命メンテナンスをしてできた傷はさ、大事な思い出だし、その自転車の歴史でもあるよね。
その歴史(傷や歪み)も美しさだと思うんだよ。だって自転車の歴史=生命なわけだしさ。
だったら、そこに美を感じてさ、美を見出してさ、行けばよいよ。
盆栽自転車よりもはるかに素敵じゃない。そんな歴史が詰まった自転車ってさ。( ´艸`)
あれ?
これって「大事してるものは、ずっとそのままでいて欲しい」っていう願望もさ一緒に解決してくれる考えだね。( ´艸`)
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